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札幌地方裁判所 昭和42年(行ウ)25号 判決 1970年2月10日

原告 大友サワ子

被告 小樽労働基準監督署長

訴訟代理人 岩佐善巳 外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が原告に対し訴外大友栄の死亡につき昭和四〇年六月三〇日なした労働者災害補償保険法の規定にもとづく遺族補償給付および葬祭料の保険給付を行なわない旨の処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。

原告訴訟代理人は、請求の原因として、

一1  原告の夫訴外大友栄(以下栄という。)は、北海道中央バス株式会社(以下「訴外会社」という。)にバス運転手として勤務していたものであるが、同社のワンマンバスの運転業務に従事中昭和四〇年二月二二日午前九時三〇分頃意識不明となつて昏倒し、同日午後三時五〇分高血圧性脳出血により死亡した。

2  ところで、栄は、高血圧の既往症があつたにもかかわらず特に過労となるワンマンバスに乗務していたが、死亡当日は乗客が満員であり、そのため栄が乗車口から車内に入れず、運転手席の横窓から車内に入つたほどであつたうえ、積雪のため道路状態が悪く、しかも途中故障車に運行を妨害され、運転時間にも遅延が生じていた。のみならず、栄は、当日午前四時五〇分頃起床し、午前五時一〇分頃自宅を出た後、午前六時四七分仲ノ町始発のバスに乗務してから事故時まで継続して勤務についていたのである。そして、以上の事情から栄に精神的、肉体的負担が重なり、これにより高血圧性脳出血を発症させたものであり、結局栄は、業務上の事由により死亡したものというべきである。

二  原告は、栄の収入により生計を維持していた栄の妻であり、また栄の葬祭を行なつたものであるので、被告に対し労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)一二条一項四号による遺族補償給付および同条項五号による葬祭料の各保険給付を請求した。ところが、被告は、栄の死亡は業務上の事由によるものと認められないとして右保険給付を行わない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。原告は、本件処分を不服として北海道労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが棄却されたため、更に労働保険審査会に対し再審査の請求をしたが昭和四二年七月一三日請求を棄却する旨の裁決を受けた。

三  しかしながら、本件処分は、業務上の事由による死亡をそうでないとした結果なされた違法な行政処分である。よつて、原告は、被告のなした本件処分の取消を求める。

と述べ、

立証<省略>

被告指定代理人は、答弁およびその主張として、

一  請求原因一の1の事実は認める。同2の事実のうち、栄に高血圧の既往症があつたこと、栄が運転手席の横窓から車内に入つたこと、運転時間に多少の遅延が生じていたこと、栄が始発時から事故時まで継続してその勤務についていたことは認めるが、同人の起床時間および自宅を出た時間は不知、その余の事実は否認する。同二の事実は認める。同三は争う。

二1  栄は、昭和三五年二月頃からかなり高度の本態性高血圧症になり、医師の治療、投薬をしばしば繰り返していた。この疾病は治療継続中には血圧が下がるものの、治療を中断すると再び血圧が上昇する可能性があるところ、栄は、昭和三九年一一月三〇日頃から死亡当日までの間医師の治療、投薬を中断しており、死亡前日の血圧も不明であり、しかも、右中断後疾病が快方に向つていることを認める資料はなかつた。

2  栄は、右の基礎疾病に加えて、飲酒、喫煙を好み、偶々休日であつた死亡前日にもビールを飲んでおり、これらのことからみれば、栄の死因である脳卒中の発病がある程度業務の遂行に誘因されたとしても、それは唯一の原因でなく、むしろ栄の体質的素因と日常生活上の素因とが絡み合つて発病させたものである。

3  ワンマンバスの運行は、ツーマンバスの運行に較べて多少の業務量の増加を伴うとともに、やや精神的緊張が高まり、また若干高度の注意義務が要求されることは否定できない。しかし、それによつて、ワンマンバスの運行がツーマンバスの運行に比して著るしい精神的、肉体的疲労の累積を招来するものとはいえない。加えて、栄は、昭和三九年四月頃からワンマンバスの運転業務に従事している熟達者であり、而も死亡の前日は休日であつたうえ、当日の運転状況は従来と大差なく、また死亡前三時間の勤務状況も特に過労となるものではない。

4  従つて、栄の死亡は業務上の事由によるものとはいえず、被告のなした本件処分は適法である。と述べ、立証<省略>。

理由

一  請求原因一の1の事実および同二の事実は当事者間に争いがない。しかして、労災保険法一条、一二条第一、二項、労働基準法七五条ないし七七条、七九条ないし八〇条によれば、労災保険法に基く保険給付は業務上の事由による労働者の災害に対してその補償を行う旨規定されているが、現行の労働者災害補償制度の趣旨、目的その他労働基準法施行規則三五条の規定の仕方などを考え合わせると、右の業務上の事由による労働者の災害とは、労働者が業務の遂行中に被り、かつ、その業務との間に相当因果関係の認められる災害を意味していると解するのが相当であるところ、栄が、業務の遂行中に死亡したことは、前記のとおり当事者間に争いがないから、以下において、右死亡について業務と因果関係があると言い得るか否か検討する。

二  栄の死亡に至るまでの病歴、健康状態について

栄に高血圧の既往症があつた事実については当事者間に争いがないが、<証拠省略>を総合すると、栄は、昭和三五年(栄が満三八年の時)当時既に本態性高血圧症、急性冠不全症と診断され、以後自覚症状があるときなどに通院加療を受け、これがおさまると通院を中断していたこと、昭和三九年九月二八日心悸亢進を覚え、同市内の北生病院で高血圧症、期外収縮性不整脈と診断され、以後同年一一月一一日まで通院し、降圧剤、強心剤などの投薬を受け、その結果当初の最高血圧二三〇ミリが一五〇ミリから一八〇ミリに、また当初の最低血圧一一〇ミリが八〇ミリから九〇ミリに降下して安定し、自覚症状も殆んどなくなるに至つた(但し心室性期外収縮は消失しなかつた)こと、他方栄は、右高血圧症を除けば、特に疾患はなかつたことが認められる。

三  栄の死亡当日における勤務状況について

<証拠省略>を総合すると、栄は、かつて石炭会社の運転手をしていたが、昭和三〇年頃訴外会社に運転手として入社し、昭和三九年四月からは栄がそれまで担当していた同社の小樽市内の山手循環線(一周約六・三キロメートル、所要時間約三〇分)のワンマンバス運転に従事していたこと、栄は、死亡当日の昭和四〇年二月二二日午前四時五〇分頃起床し、午前五時一〇分頃自宅を出発し、訴外会社の従業員通勤用バスなどを利用して午前六時に同社の長橋車庫の乗務員詰所に出勤し、点呼を受けた後平常通り小樽駅前から乗務し、同所を午前六時三八分頃発車し、午前六時四七分頃仲ノ町停留所に至り、同停留所から前記循環路線のワンマンバス運転を始めたこと、その後右路線を三周するまで定刻通りの運転を続けていたが、午前八時三〇分頃から積雪のため道路の状態が悪化し、途中で故障車に遭遇するなど運行に支障を生じたため、四周目は予定時刻の午前八時五三分を遅れて午前九時一九分頃仲ノ町停留所に到着したこと、同停留所で栄は下車して詰所の便所を使つたが、その間に到着した後続バスの乗客が多数乗り移つてきたため、それまで余り混んでいなかつた栄のバスは満員状態となつたこと、そのため栄はやむなく運転席の横窓から乗車したこと(横窓から乗車したことは当事者間に争いがない)、その頃の栄の様子には別段身体の不調を窮わせるような異常な点はみられなかつたこと、同停留所での予定の待合時間は六分であつたが、到着二分後の午前九時二一分頃栄は再び出発したこと、次の停留所(春日台)は客がいなかつたため通過した後客の降車合図に応えて洗心橋停留所に至つて停車させると同時に客を降ろしたが、停車直前に栄は脳出血の発作を起したため、しばらく間を置いて入口のドアーを開けることができたものの、そのまま昏睡状態に陥り死亡したこと、以上の事実が認められる。

四、因果関係の存在について

<証拠省略>によると、本態性高血圧症の基礎疾患を有する者がおこす脳出血は、活動時において体験する平常と異る著しい精神的な緊張、興奮、過労などが誘因となり得るが、反面かかる誘因なく平常時においても右発作が起る例も稀ではなく、結局現段階においてはその直接的な原因を究明し、あるいはその発生時期を予め了知することは医学的に極めて困難とされていることが認められる。

そこで、死亡当日、栄について、右のようにともかくも脳出血発作の誘因とされている通常の勤務状態に比して著しい精神的緊張等が存したかどうかについて検討する。

1  <証拠省略>によると、栄の従事していた山手循環路線の勤務時間は午前六時又は午前六時三〇分に始る一号勤務と午後二時又は午後二時三〇分に始る二号勤務とあつて、両勤務は五日交替であり、一日の所定実働時間は七時間で、このうち乗務時間は五時間三〇分から六時間であつたこと、休日は一ケ月平均四日であつたこと、栄は、北生病院への通院をやめ昭和三九年一一月六日から再び勤務を開始して以来死亡に至るまで、若干の残業時間はあつたにせよ、右の労働条件で勤務しており、この間特に過重な勤務を命ぜられたことはなく、死亡当日の昭和四〇年二月二二日もこれと同様の条件で勤務を開始したこと(しかして事故時まで三時間余りしか経過していないことは前記の通りである)、死亡前日栄は、公休日で午前中市内の雪祭りを見物して昼頃帰宅し、翌日の勤務に備えて午後八時頃には就寝したことが認められる。この事実によれば、死亡当日の労働条件が平常に比し特に過重なものであつたとか、或いはそれまでに日常の業務により疲労を蓄積させ過労に陥つていたとはいずれも認められない。

2  もつとも、前記のように当時積雪のため道路状態が悪化し、栄のバスが故障車に遭遇して運行を妨げられ、運行時刻が予定より約二六分遅れた事実が認められ、かかる場合乗合バスの運転手としては極力その遅れを取戻すべく努めることは想像に難くなく前記の通り栄は仲ノ町停留所で待合時間を短縮して出発しているが、その時刻の頃は<証拠省略>によつてラツシユ時間帯(午前七時三〇分から午前八時三〇分まで)と認められる時間を既に過ぎていたこと、また前記のように、栄は、それまで路線を三周したが、すべて定刻通りの運行をしていたこと、更に<証拠省略>によると、当日の積雪量自体は前日と殆んど同じであり、積雪地方でのバスの遅れは程度の差はあれ必ずしも異例の現象とは認めがたいことなどの事実によれば、右遅延の事実が必ずしも栄に対し通常の勤務以上の著しい精神的肉体的疲労をもたらしたものと認めることはできない。また栄が運転席の横窓から乗車した事実について、<証拠省略>によると、右の窓の高さは地上約一六五センチメートルであるが、この窓から車内に入ることはそれ程困難でないこと、そのため、ワンマンバスの場合、乗車口と運転席が近いので、たとえ満員の状態でも入口近くの二、三名の乗客に一時降りてもらう程度の努力で入口から乗車することが容易にできるにもかかわらず、これをせず、安易に横窓から入る運転手がいること、栄も本件以前にこの経験を有していたことが認められる。この事実によれば、栄が横窓から乗車した行為自体が直ちに脳出血を発症させる原因となる程度に強度の肉体的負担あるいは一過性の緊張、興奮などを生ぜしめたと認めることはできない。他に死亡当日の勤務が平常に比し著しく精神的緊張等をもたらしたものと認むべき証拠はない。

3  次に、栄がワンマンバスの運転手であつたことが同人の死亡の一因をなしているかどうかについて検討する。

<証拠省略>を総合すると、栄の場合を含めてワンマンバスの運転手の業務内容はツーマンバスのそれと比べて運転手も客の乗降状態に注意を払うほか、客の案内(栄の場合テープレコーダーを使用していた)、料金、乗車券の取扱い、両替え、ドアーの開閉(栄の場合ハンドル操作によつていた)、乗務後の料金精算などの作業が余計に課せられているうえ、停車時に客を扱うため休息をとり難い点において精神的肉体的負担がより大きいものであることが認められる。しかし、栄の乗務していた循環路線の一周距離、所要時間および同人の労働条件は前記認定のとおりで、これが特に過重なものとは認め難いし、<証拠省略>を総合すると、路線の道路は巾約一〇メートルで全線が舗装されていたこと、車の後退が困難な場所には誘導員が配置されており、Uターンなどが困難な場所もなかつたこと、一方、訴外会社から運転手に対するワンマンバスの割当は本人の運転経験年数、運転技術、接客態度などが考慮されたうえで行われ、ワンマンバスの運転手には一日一五〇円の特別賃金が支給され、乗務時間もツーマンバスの運転手より若干短縮されていたが、本人から辞退があれば会社側はこれに応じてツーマンバスの運転手に替え得る用意があつたこと、しかしながら、同社が昭和三八年四月にワンマンバスを採用して以後栄の場合も含めて運転手側からワンマンバスの運行について不満が出たことはなかつたこと、会社側と組合側ではそれぞれ年一回づつ運転手の定期健康診断を行つているが、栄は、昭和三八年四月、一一月、三九年三月の三回の健康診断においていずれも要治療と診断され、この旨が同社の厚生課から運行管理者らに知らされており、管理者において栄の残業時間が増えないように、また休日を確実にとらせるようにすべく指示されていたこと、同社では運転手が乗務に就く前に必ず運行管理者の点呼を受け、その際身体の具合が悪い者は申し出ることが許されていたが、死亡当日を含めて栄はそのような申出をしたことはなかつたこと、勤務の具体的な割当については原則として三日前に決定され、前日までに本人が確認する仕組になつていたこと、小樽市内線には約一九〇名が常時出勤していたが、支障に備えて一〇名程の予備乗務員が確保されていたことが認められる。以上の事実によれば、ワンマンバス運転手がツーマンバス運転手に比して精神的肉体的負担が少くないことは否定し得ないが、前記認定のような路線の状況、誘導員の配置などについての配慮をし、また運行管理者らに対して、栄の残業時間、休日について指示を与えるなどしていた会社側の労務管理状況に栄の場合バスの運転について長年の経験を有していたうえ、ワンマンバスに乗務する以前から同じ路線を運行し、ワンマンバス乗務となつてから一年近く前記1のように同一労働条件の下に支障なく勤務していたことなどを考え合わせると、同人がワンマンバスに乗務していたこと自体が同人の死亡の一因をなす程に強度の疲労をもたらしたものと推測することは困難である。

五  更に、<証拠省略>によると、本態性高血症は医師の指示による降圧剤などの服用その他の治療を受けることにより回復ないし症状の安定を期待し得る反面これを中断すると再び悪化するおそれが多分にあること、栄の場合前記のように比較的若年で疾病になつたうえ、病歴も長く、最低血圧も高く、心電図上の所見が見られるなど悪性の例に属し、昭和三九年九月二八日の心悸亢進の自覚症状以後なお医師の指示による治療が必要であつたにもかかわらず栄は、同年一一月一二日以後通院をやめ売薬を服用していたにとどまつていたことが認められ、このような治療の中断が栄の症状を一段と促進させた可能性も考えられ、加えて前記のように、本態性高血圧症の基礎疾患を有する者は平常時においても脳出血発作をおこすことがあり得るのであり、これらの事実と前記四認定の諸事実とを併せ考えれば、本件にあらわれた資料をもつてしては未だ栄の死亡と業務との間に相当因果関係の存在を認めるには不十分であるといわなければならない。

そうであるなら、栄の死亡を業務上の事由によるものと認められないとした結果なした被告の本件処分は適法なものと解され、右処分の取消を求める原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞 鈴木康之 岩垂正起)

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